ねえ、柚なんで私をおいて行ってしまったの……? こんな事を今更言っても仕方がないけれど。でも、何でなの……? 私には解らない。あなたが突然、この世を去ってしまう理由が私には解らない……
「おい、飛び降り自殺だってよ!」
汗ばんだシャツを着たサラリーマンが同僚に声をかけている。周囲はざわついていた。ある女性が電車に飛び降り自殺をしたようだ。電車は止まってしまったので、慌てている人々。警察官や鉄道員は、電車に巻き込まれた遺体を引き上げている。身体が半分にちぎれてしまい、顔は無残にも跡形もなく踏み潰されていたようだ。それが、柚だとは知らずに私は彼女が指定した喫茶店で待っていた。
それは、八月中旬。梅雨も明けて、空は晴天であった。気温も高い時には四十度近くいく。そんな日であった。Tシャツは、汗ばんでしまい下着のラインがくっきり見えてしまう。私は、男性の視線が気になってしまうので暑くても何か羽織る事にしていた。私は、出来るだけ外出しないで自宅にいる事が多かった。十九歳――この年齢ならば誰しもが、大学へ行き、そして就職をしている。私は、何もせずに自堕落な日々を送っていた。
柚から突然、自宅に電話がかかってきたのは一週間前――彼女は、私に話しがあるからと言った。彼女と話をしたのは、三年振りであった。彼女の声は少女時代と違い、やや大人びていた気がする。柚は、都内にある喫茶店を指定した。その場所で落ち合う約束をした。今時、喫茶店などあるのかと思っていたが、事実、彼女に言われた道筋を辿るとそこには古びた看板が立っていた。私は、そこへ入るとマスターらしき髭をたくわえた中年の男性が挨拶をした。
「いらっしゃい」
マスターの声に反応した私は軽く会釈をした。
そこは、とても小さな喫茶店でなんだか昭和を漂わせた雰囲気を醸し出している。柚が、こんな場所へ来るなんて思えなかった。床はほこりや小さなゴミがある。テーブル席が二つ設けられ、あとはカウンター席がある。
私は、窓際のテーブル席へ座った。窓際には小さな観葉植物が置かれていた。私は、マスターにアイスコーヒーを頼んだ。冷房はきいているのか、いないのか分からない程、店内は蒸し暑い。私は、ポシェットからハンカチを取り出して額の汗を拭った。
柚との待ち合わせ時間は、十五時である。今日は、日曜日であるが店内には私以外に誰もお客はいない。時計を見ると十四時半であった。いつも、こんな調子でお店はまわっているのかと思うと経営は大丈夫なんだろうかと心配していた。
マスターはアイスコーヒーを持って来た。
「お待たせいたしました」
マスターは、紙製のコースターの上にグラスを置く。手をグラスに添えるとひんやりとしていた。私は、ストローに口を付けて飲んだ。
柚が来るまでに暇つぶしにと思い書店で小説を買ったので読む事にした。純愛をテーマにした小説らしい。これは、今年ドラマ化も決定して話題作であった。私も一度、読んでみたかったので手に取った。
一ページ々、ページはめくられていく。内容にどっぷりと浸かってしまって柚の事をすっかりと忘れてしまっていた。
腕時計を見ると十六時になっている。一時間の遅刻だ。私は、柚に連絡を入れようと思ったので店内にある電話を借りる事にした。私は、普段誰とも連絡を取らないので携帯電話を持っていない。
手帳から柚の自宅番号を見つけるとプッシュボタンを押す。しばらくコールを鳴らしていると女性の声がした。どうやら、柚のお母さんらしい。柚との待ち合わせを約束していた旨を伝えると、彼女はとっくに自宅を出ていると言った。私は、仕方がないのでしばらく彼女を待つ事にする。どうせならば、彼女の携帯電話の番号を聞いていれば良かった。
外を見ると通り雨が降っていた。じきにやむだろう。私は、そんな事を思い、また小説に目をやった。
それから、一時間が過ぎ、二時間が過ぎても彼女はやって来ない。私は、約束をすっぽかされたのだと思った。だが、三年振りの再会なのに彼女がそんな事をするはずがない。もしかして、何か不慮の事故にあってしまったのだろうか? そんな事を頭の中で考えていた。雨はとっくにやんでいる。
私と柚は、四年前は大の親友であった。柚は、私と違い活発で社交的な女の子。一方の私は、彼女とは正反対。愚鈍で社交性のない子であった。だけど、柚とは小学生の時から馬が合うと言うのか、いつも一緒にいた。けれど、中学三年生の時に柚が好きだった男子の事で私達の友情に亀裂が走った。その男子は、今でも何故なんだろうと思っているが、私の事を好きだと言ったそうだ。それを柚にひどく責められ罵られた。
「あなたのどこが良いのよ!? 私の方が顔だって数倍かわいいんだから!」
彼女の言葉に私は、胸をえぐられた気分になった。その男子が、私に好意を持ってくれる事はとても嬉しかった。けれど、そんな些細な事で柚との仲は険悪になってしまった。結局、その男子と私は何も起こらずに中学時代は過ぎてしまった。
あれから四年……柚は突然、私に電話をしてきた。彼女の声は、少し元気がなかった。私が、彼女を気遣うと、「なんでもない」と言うだけで平静を装っていた。けれど、私には彼女が何かを抱えているのではないのかと思ってならなかった。だって、突然、四年も過ぎて連絡するなんて……きっと、彼女は何かに対し悩みを持っているのかもしれないと思った。けれど、それは私の思い過ごしかもしれない。いつも陽気に振舞っていた彼女の事だ。何事もなく、「久しぶり、瑞希。元気にしていた?」なんて声をかけてくるに違いない。
それにしても遅い。待ち合わせ時間からとっくに三時間も過ぎてしまっている。私は、再度、彼女の自宅に電話をした。しかし、何度コールをしてもつながらなかった。私も馬鹿である。待ち合わせをすっぽかされてしまったのだ。三時間も待っていたのに彼女はやって来なかった。
私は、会計を済ませて店内を後にした。道路は、先程の通り雨の為かアスファルトは濡れている。私は、アスファルトがへこみ水溜りが出来ている場所を避けながら、とぼとぼと駅に向かった。結局何だったんだろう? 彼女の気まぐれに付き合わされただけだったのだろうか?
自宅へ戻るとママは、「柚ちゃんとはどんな話をしたの?」と聞いて来たが、私は上手く説明が出来ずただ頷いていた。昔から喋るのは苦手であったので家庭内でも会話は乏しい。
夕飯を済ませると私は、夕刊に目を通した。毎日、読んでいるわけではないが三面記事だけ目を通す事にしていた。私の家では、パパ以外、新聞はほとんど読まない。記事の内容も政治家の汚職事件が取りただされていてさほど面白みもなかった。そんな、新聞の片隅でまさか、柚の名前が載っているなんて気づきもしなかった。
お風呂へ入って、これから寝ようと思ったら階下からママの声がした。
「瑞希。真部さんって方から電話よ」
真部……その名前に記憶を辿り思い出す。はて? 私にはそんな友人がいただろうか? 受話器を取ると女性の声がした。
「月島さん? 私、富岡中学時代の真部です」
どうやら、中学時代のクラスメイトだと判明した。私は、挨拶を交わすと彼女は、沈痛な声で喋りだす。そして、柚が電車に身投げをした事を聞いて私は思わず声が出なくなってしまった。
「月島さん! 月島さん!?」
真部さんの声がする。私は、なんとか受話器を握り締め彼女が……柚が今日の午後に死んでしまった事を聞いた。そして、葬儀が明日おこなわれると言うので場所を聞いた。私は、何も言えずただ相槌を打つことだけで精一杯であった。私は、受話器を置いた途端、その場で崩れ落ちた。
柚が死んだ……
柚が死んだ……
そんな事が脳裏でこだましていた。私と今日、会う約束を交わしていた彼女が何故、突然、電車に身投げをしてしまったのだろうか。分からない。私は、その場で涙をためていた。それを見たママは声をかける。私は、ママに抱きつき抑えきれなくなり溢れ出した涙を流した。
「あのね……あのね……」
ママは、何事なのかと驚いていた。私は、たどたどしくも柚が今日、待ち合わせ場所に来なかった事。それに彼女が自殺をした事を喋った。ママはそれを聞いて絶句している。
「何で……何で、柚は死んじゃったの!?」
ママに問いただしても何も答えは返ってこなかった。ただ、私を強く抱きしめるだけ。会話はなくても、ママに強く抱きしめられ私は幾度か落ち着きを取り戻していた。ママは、「今日は、早く眠りなさい」と言うので私はそれに従い部屋に入った。パパは、泣きじゃくっている私が気になったのか様子を見に来ていた。私は、その夜、柚との思い出を記憶の中から少しずつひっぱり出していた。小学校の遠足。修学旅行。中学の入学式。私達は、着慣れない大きな制服を着てクラスメイトと共に写真を撮った。私と柚は、別々のクラスになってしまったけれど同じ部活動をする事にした。柚が入りたいと言ったので一緒に吹奏楽部へ入部した。私は、進学の為もあるので進級すると辞めてしまったが彼女はずっと続けていた。そんな事を思い出しながら枕に涙をためて夜を明かした。
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