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桜井パンタロンの創作小説

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私は、妻が末期癌であった事は娘の沙希が連絡するまで知らずにいた。妻も娘も私に告げる事もなく刻々と病魔は進行していた。余命三か月。妻のふとももが異常に腫れあがっていたのだが、痛みを堪え勤務先である保育園に向かっていたそうだ。娘が、生理でもないのに出血が止まらない事や尋常ではない腫れあがりを懸念して無理矢理婦人科へ連れて行った。検査を受けると医者から苦い顔を浮かべ、妻に告白するべきなのかと迷っていたようだが事実を話して欲しいとの要望に答え告知した。妻の病名は、子宮癌。末期であると告知された。妻は、毅然とした態度で病気と向き合っていたそうだ。放射線療法、抗がん剤療法をうけ、仕事先へ向かった。沙希は、妻の身を案じ治療に専念すべきだと訴えたのだが当の本人は気にもせずにいた。

「治るから。沙希、大丈夫。お母さん運が良い方だから……それに、まだやり残した事があるの。でも、もしお母さんが死んでしまった時は粕谷さんに私は幸せでしたと言って欲しいの。お願いね」

 病床で妻が点滴を受け、顔はやつれ、抗がん剤を多量投与の為か意識は朦朧としている最中に発した言葉である。妻の友人に告げる言葉であったのだろう。私と不仲であった事、妻が友人に相談をしていた事が窺える。これが、妻の最後の言葉であった。

「お母さん死ぬなんて言わないで!」

 沙希の声が聞こえ、映像が乱れているが、それでも妻の最後の瞬間まで撮り続けようと懸命に堪えていた。

録画DVDは、ここでストップしている。私の時間もこの映像と共に先へ進めない状態でいた。妻が生前愛飲していたラフロイグ十五年を小さめのチューリップグラスに注ぎちびちびと舐め、リモコンを片手にまた再生をして眺めていた。これが、現在私の生活の一部であり、会社と自宅の往復でDVDを再生して詩織の姿を眺めるのが日課であり、非常に短絡的な日々を過ごしていた。

後日、担当医から聞いた話だが、テープを止めた数分後に痛みでのたうちまわる妻をみかね、沙希をどうにか説得させモルヒネ投与を促したそうだ。多量に欠巻の中へ流れ込んだ液体が妻の意識を急激に低下させ、その直後から彼女の顔はとても穏やかであり、そして静かに息を引き取った。

担当医であった中年の男はそれを淡々とずれた眼鏡を人差し指でなおし私を励まし去って行く。

「奥様は、とても毅然とした態度で最後まで癌と向き合い戦いぬいたのです。私は、敬意を称したい。旦那様も奥様をなくされ胸が張り裂けそうな思いであるかもしれませんが、時間がいつか解決してくれるはずです。気落ちせずに」

私は、彼に一礼をして去って行く後ろ姿をただ呆然と立ち尽くし、いつまでも見つめていた。男の背中を見つめ妻の闘病生活を知る者から何かを汲み取ろうとしていたが、答えを導けずそのまま病院を後にした。

私は、沙希が妻と共に過ごした最後の三か月間を記録した映像を観て年甲斐もなく肩を震わせむせび泣きした。

「お父さんと仲良くね。お母さんのお願い」

 ビデオカメラをまわす沙希が、「うん。うん」と何度も答え映像越しから妻の手を強く握りしめていた。

 私は、一体何をしていたのだ。妻が病魔と闘っている最中に罪の意識を持たず部下と情事を楽しんでいたなんて。

 

妻は、無類の子供好きであった。保育士を目指していた彼女と私は、二十歳の成人式におこなわれた同窓会を通じ、そこから少しずつ親交を深めていった。当時は、携帯電話のような便利な物はなかったので気軽に自分の思いを伝える事が出来ず何度も彼女に向かい、告白をしようと試みたが勇気がもてずにいた。夜、十円玉をポケットに何枚も入れ、走って近所の煙草屋に向かうとポケットに入れた小銭がじゃらじゃらとリズムよく音を鳴らし、私の鼓動と一体化していた。息を切らせ公衆電話のドアを開けると、何を喋れば良いのかと箇条書きしたメモ用紙を見つめ、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。緊張の為か手は汗ばみ、唾を飲み込む頻度も多く受話器を持つ手は小刻みに震えている。何度も何度も彼女宅へ電話をしているのでさらで暗記をしていた。スムーズにダイヤルを回すのだが、最後のダイヤルだけが回せずに受話器を置いてしまう。週末の夜におこなう言わば儀式であり、一年以上続いた私の青春の一頁でもある。私は、冬の星空を見上げ深いため息をつき、その吐息が薄暗い電灯に向かい舞っていくのを見て思ったものだ。何故、ダイヤルを回せないのかと。

隣の席にいる彼女……山岸詩織は、男女関係なく友人が多く、気軽に私にも話しかけてくれるのだが、あの頃は異性を過剰に意識してしまい、上手く会話が出来ずにいた。活発的で社交的であった彼女。私は、下校時間になると読書をしている振りをして窓際からサッカー部のマネージャーを勤める詩織を眺めていた。交際相手がいるとクラスの女子が噂をしていたのを耳にした時は部屋に籠り、一日中枕を濡らしたものだ。サッカー部のキャプテンである島崎が彼氏であると言われていた。島崎は、身長も高くアイドル並の容姿を持ち、女子から絶大の指示を受けていた。島崎は別のクラスであったし、私はスポーツが不得手で特に興味がなかったので彼と話をする機会もなかった。

あれは、高校二年生の二月十四日。私にはまったく関係のない行事であるバレンタインデーの出来事。誰から貰えるわけでもなく、フジテレビ系列で放送されていた夕焼けニャンニャンを観ようとそそくさと帰ろうとした時、下駄箱で詩織が島崎に赤い包装紙に包まれた小箱を渡していたのを目撃してしまった。親しげに島崎と詩織が会話をしている姿を目の当たりにして確信をもってしまったのだ。当時を振り返ると早まった考えであると思ったのだが、あの時の私は二人が親密な仲でいるのだと思わざるをえなかった。別にキスをしている姿を目撃したわけではないし、手をつないでいたわけではない。ただ、チョコレートを渡し、親しげに会話をしていただけである。私は友人と恋人の距離間が分からずにいた事もあり、認識不足であったのだと後に彼女から笑われてしまった。チョコレートはサッカー部員全員に渡している事を知る。それでも、チョコレートを渡すという事は少なからず好意を持っていたのだからあげたのだろうと思い彼女に問うと、「義理チョコと言う言葉を知らないの」と、ウブな私に少しはにかんだ笑みを見せ答えた。詩織は、笑うと両頬がくぼみエクボを覗かせる。色彩の薄く茶色な瞳が私の全てを包みこみ、詩織の笑顔を見るとなんとも言えない至福の時を感じた。

共学であったが、男女が親しげに話をする姿はとても珍しく、彼女は特別な存在であったのかもしれない。現在の中高生のように気軽に声をかけあえる程、フレンドリーでもなければ男も女も強く異性として感じていた多感な時期でもあった。そんな仲でひと際異彩を放つ彼女を都会者だから平気で男子と喋られるのだと揶揄する女子もいたし、勘違いをして詩織が好意を持っているものだと思った男子も多数いたわけで、その一人が私でもあった。

 彼女に当時の話をすると、考え込むように長い髪を右手でカールさせ弄んでいた。物思いにふけると詩織は必ず髪をカールさせる癖がある。

そして、しばらく瞼を閉じた。私は、何を思いつめているのだろうと思案していると、やがて、その長い睫毛をちらっと動かせゆっくりと瞳を開けて私にこう言うのだ。

「そんな噂が広まっていたなんて信じられないわ。噂よ! 島崎君はきちんと彼女がいたんだから。喜多君はそれをずっと信じていたわけだ?」

 嫉妬しているの? とからかう彼女に対し私は平静を装い、そんな事はないよ。過去は過去だからねと答えたのだが、内心安堵をうかべていた。この頃から彼女には意中の男性がいた事は、私が東京へ上京する数日前に知る事である。

彼女の動脈のふれるかたい手首を握りしめると、ぎこちない手つきで腰を引きよせそっと口づけを交わした。初めて彼女の厚く紅色の唇に触れ、暖かみを感じ艶やかな茶色の髪から芳しき若草の香が私の鼻孔をつくと、その衝動で私の天を突きぬけるように燃え上がる恋心で身体を熱くさせた。彼女の少し膨らんだ胸が私に密着すると、支えている手が小刻みに震え、出鱈目な調子でまるで幼児が打楽器を一生懸命に鳴らすような鼓動が聞こえるのではないのかと、抱きしめながら思っていた。キスが上手いかどうかなどは私も経験が多い方ではないので、感触をつかめたのかさえその時は考える余地を与えてもらえなかったし、彼女を満足させているのだろうかと疑問を感じていた。私と付き合って彼女は本当に幸せでいるのかと不安が募り、何度も口づけをしてそれを払拭しようとした。私と付き合う以前の男が、詩織の瞳の奥底にまだ残っているのではないのかと思う時もあり、その記憶の幻影が私をいずこの砂漠地帯に放置させ、永遠に在るはずもないオアシスを求め彷徨い続けさせている気分に陥らせ、とても切なさを感じていた。オアシスと言う名の詩織が、私だけを考え愛情を注いで欲しいと願った。それ程、彼女を魅了した男は多大なる影響力があり後の詩織の人格を形成する役割を果たしていたのだとこの頃は思いもしなかった。私はただひたすら詩織を振り向かせようと懸命に向きあい真摯な態度でいた。

それから数年後に、まさか詩織と恋愛の末、婚約を交わすなどとは高校時代の私は想像もしていなかっただろう。過去に戻れるのならば、今一度彼女をこの腕で抱きしめたいのだが、そう願う気持ちさえも私の浅はかな行為でそれを思う事すら詩織を愚弄しているような念にかられた。娘の沙希が詩織の気持ちを代弁していたのだろう、幸せでしたと言う言葉は実しやか詩織がこの世から去った現在では問う事も出来ずにいる。これからの余生、詩織を思い続ける事が私のささやかな償いであろう。初めて、彼女と出会い、そして、しばしの別れ、初めて交わした口付け、詩織と共に過ごした夜、新婚時代の数年間。この頃の純心な気持ちでいたのならば、このような不甲斐ない結果には決してならなかっただろう。生来、詩織は真面目な気質であり、胸の傷である過去の失恋がいつまでも忘れられないままでいるので、昔の男を訪仏させる態度をとる度に私を失望させた。だが、今ならば言える。過去の自分の気持ちで詩織を支えられていたのならば、私達は平穏な家庭を築けたのだと。二十数年前の自分が、半分以上白髪になり、年を重ねる度に増える小皺、老人のような体臭を漂わせすっかり若さが抜け落ちてしまったこの中年男に向かい、一体何と助言したのだろうか? エールを送ってくれるだろうか? いや、そんな事はないだろう。偽善ぶるなと私を罵倒し、襟元を掴み、拳を突き上げて頬を気が済むまで殴っているに違いない。だが、聞かせて欲しい。過去の自分から私に対する思い、そして、支えがなくなった自分の指標を示して欲しい。若さで充ち溢れ、希望や絶望の真っただ中にいた強さがある、あの頃の私ならば言えるはずだ。

 

私の楽しみと言えば自宅へ帰り、夕やけニャンニャンを観るくらいであった。チェッカーズの、「あの娘とスキャンダル」を聴くと当時を思い出す。私は、新田恵利のファンであったが、熱烈と言うわけでもなく、ただ友人間で話題にする程度であった。おニャン子クラブのポスターは部屋中に貼っていたし、ウォークマンで聴いている曲は、「セーラー服を脱がさないで」であった。尾崎豊も私の青春の一頁に収められている。卒業間近に彼が出した、「卒業」と言うシングルは当時の若者に多大なる影響を与えた。この支配からの卒業……そう、八十五年前後の著名人達は新人類等と評論家に言われ、マスコミに取り上げられていたものだ。学生運動の世代ではないが、尾崎の気持ちは十分受け取れた。信じられぬ大人との争いの中で許しあい、いったい何解り合えたのだろう。この歌詞に含まれるように私は、周囲の同級生同様に思春期をむかえ、それなりに反抗期があったし、社会に不満もあった。けれど、それを口には出さず、ただ世間の波にさらわれるしか術はなかった。

たまに学校をさぼり、友人と共にポルノ映画を鑑賞しに行っていた事もある。怪しげな老婆が私達の事を凝視して、チケットを手渡す。上目づかいで見るあの眼光がなんとも不気味な印象を与えた。薄汚い館内の中で、女性の喘ぎ声が辺りに響き、男性が愛撫しているのだが、肝心なところにモザイクがかかっているので、面白さが半減してしまう。人も疎らに座り、小説を読みふける老人やいちゃつくカップル等がいた。私達は、席に腰を下ろすと、じっとスクリーンを凝視してポップコーンを口にしていた。もちろん、股間も夢も膨らませて。友人共々、セックスをした経験もなく彼女もいない。私は、詩織を思いながら自慰にふける事が多々あった。大学受験を控え、自室で勉強をするのだが、どうも身が入らない。頭の中では、セックスの事ばかりで妄想すると収支がつかなくなり、無意識に右手で股間を擦っていた。机の置く底にしまっているポルノ雑誌を片手に私はペニスをしごき、彼女とセックスしている事を想像して白濁した液体を数枚重ねたティッシュペーパーの中に出した。友人に相談する事もなく、彼女を思い続けた二年間が私の人生であり、もっとも若さに満ち溢れていた時である。

 勇気を出し、彼女に卒業式にラブレターを渡そうと決めた。真面目に文章を書いた事がない私であったが、何枚もボールペンで書き綴り、誤字脱字を見つけるとそれを破り捨て、また一から書き直した。拙い文章でおまけに汚い字である。彼女にもし渡せたとしても読めるのかどうかも心配になってきた。妹が、紅茶とおにぎりを部屋に運んで来ると、私はすぐに書きかけの紙をぐしゃぐしゃに丸めゴミ箱へ捨てた。

「早く行けよ」

 興味津津で覗く妹を勉強の邪魔だと言って追い出した。

ようやく仕上がったのは早朝五時である。文房具店で購入した変哲のない手紙に封をして学ランの胸ポケットにしまった。母は、私が食卓へ向かうと大学受験も終わったのにまだ勉強に精をだしているのだと勘違いして、感心していた。事実は異なるが、私は相槌をうち朝食のトーストを口にした。

 私は、東京の大学に進む事が決まって春から上京する予定でいた。詩織は、地元の専門学校に進む事を知り残念であった。もし、仮に付き合えたとしても遠距離恋愛になってしまうとつまらない皮算用をして落ち込んだ事もある。

食事を終え、私は最後の学生生活を送るべく学ランに袖を通した。睡眠不足のまま電車に揺られると眠気が襲いそのまま終点まで行ってしまうのではと、私は目を見開き窓の外を見つめ気分を晴らしていた。代り映えのない景色がよけいに眠気を誘う。軒並み佇む家々では、ベランダで洗濯物を干している主婦の姿が時折見え、通りすぎて行く。私は、吊革に身を預け、うとうととしていた。

駅へ着くと、自動販売機で缶コーヒーを買い、その場でプルタブを開け喉に流し込んだ。砂糖の甘さが口中に広がり、睡眠不足の為か吐き気をもよおす。かぶりを振り、私は走り出し、駅から徒歩十分ある距離をひたすら何も考えず学校へ向かった。

教室へ向かう途中の出来事、詩織はクラスメイトと仲良く会話をしていた。私とすれ違い様、おはようと声をかける。私は、胸を高鳴らせその鼓動が聞こえないように小さな声で、おはようと返事をした。今日で、詩織との学生生活が終わると言うのはとても寂しく思えた。

詩織は他県から越してきた転校生であった。私が初めて彼女を見た時それは、一目惚れと言うのだろうか? 赤面して股間が熱くなり、「この女とセックスをしたい」と動物的な発想が頭によぎった。決して特別美人と言うわけでもない。ただ、彼女が私を見つめた時の瞳の奥底に宿る女性の魔力と言うのか、どこか寂しげで不幸せでいるような雰囲気を醸し、私が彼女を守らなければと一方的に義務感を持ち、また彼女がそれを求めているように感じたのだ。今となれば、何が理由で詩織を好きになったのかなんてどうでも良い話である。ただ、あの頃の私の頭のなかに詩織は存在していたし、詩織がいた事でつまらない学生時代に荒地に一輪の花が咲き、百八十度違う世界を見ていたのは確かである。

担任教師が体育館へ集まるようにと朝礼で言うと、私達はそのまま教室をあとにした。

体育館はひどく冷たく暖房完備などないので皆身を縮こませていた。吐く息は白く、振るえながら卒業式を迎える。校長先生の長々と喋る言葉がまるでお経のように聞こえ私は、椅子に座りこっくりこっくりと居眠りをしていると担任教師にコラと頭を叩かれ、目を覚ます。すると周囲から、くすくすと笑い声が聞こえ私は赤面した。学ランの胸ポケットにしまっているラブレターを渡すにはどうすれば良いのかと思案したのだが、答えを導けないまま終わりを迎えた。

教室へ戻ると担任教師が、これからの人生色々あるけれども等の人生論を語り最後に、社会に出てもがんばれとエールを残し終了になった。

下校時間になり、クラスメイトは卒業アルバムにメッセージの書きあいをしていて、その中に詩織の姿もいた。いつ、彼女達の会話が終わるのか、そわそわと一人で机に座りアルバムを眺めページをめくっていると詩織の写真が写っていた。彼女は、少しはにかんだ表情で写真に写っている。フラッシュの影響か元々色素の薄い髪の毛が、より茶色に染まっているように見えた。彼女は、不良ではないが遺伝的に色素が薄いようで、髪の毛と瞳は薄茶色であり、それがまた私にとって神秘的に見えた。

「喜多、何しているんだよ? 帰ろうぜ」

 一緒にポルノ映画を観たり、タバコや酒、それにギャンブルをしていたりした悪友仲間の一人が私の肩を叩くと、まるでトムに見つかったジェリーのように面白い程飛び跳ね、それを見た友人はケラケラと笑い、何怯えているんだよ。早く帰ろうぜと言った。

私は、やり残した事があるからと言い、友人を先に帰した。教室では、私と詩織それに数人の女子が残っている。

一人きりになる場面もないので私は苛立ちを感じ、親指の爪を噛みしめる。昔から苛立つと爪を噛む癖があり後に、詩織に指摘をうけ治そうと試みるが未だ改善されていない。乳離れ出来ていないと言われると恥ずかしくなった。寂しさから爪を噛むのかもしれない。爪を噛む癖が、喫煙行為に走るのは言い訳がましい事なのだが。

 詩織の友人が、トイレに行った隙に私は彼女の元へ直進して向かった。

「あの……山岸さん」

「ああ。喜多君。今日でお別れだね。喜多君、東京へ行くんでしょ?」

「うん」

「皆、東京で就職したり大学へ進学したりするんだものね。東京かあ。私も戻りたいな」

 渡すのは今、この瞬間しかない。他愛のない会話が進みこのままでは友人がやってきてしまう。私は、黙って彼女の手中にラブレターをぎゅっと握らせそのまま走り去って行った。

 渡せた! 何だか分からないが開放感で充ち溢れた。駅まで猛スピードで走ってきたので息を切らせ汗だくになっていた。落ち着け。落ち着けと心の中で言い聞かせ、額から流れる汗を手で拭い、深呼吸をした。

 山岸さんの事を二年間ずっと思い続けていました。転校して来た時から一目惚れをして私はあなたの虜になりました。放課後、窓の外からマネージャーを務める山岸さんをずっと眺めて溜息ばかりつく日々でした。山岸さんが島崎君と付き合っていると言う噂を聞いた事があります。ですが、私は山岸さんの事が好きです。この気持ちを心の中で閉まっておくべきだと思っていたのですが、どうしても伝えたく手紙に綴りました。好きです。山岸さんが大好きです。どう表現したら良いのか分らないくらいに好きです。お付き合い出来ない事は承知の上で告白しました。返事を頂けたら幸いです。

 

 これだけの文章を書くのに一体何時間費やしたのだろうか。短い文章の中で、私が彼女への思いを全て表現したつもりであるがそれを上手く伝える事が出来たのだろうか。私が表現出来る範囲で書き出した言葉の羅列に過ぎなかった。

有頂天で帰宅すると詩織の事を思い浮かべ机に頬杖をしながらにやけた顔をしていた。手紙には、私の自宅の電話番号と住所を記載している。彼女からの返事を待つのみであった。

 しかし、数日経っても彼女からの返事はなかった。私は、意味もなく何度もポストの中を開けて彼女からの返事を待っていたのだが、手紙らしき物はなかった。待てど暮らせど、郵便局員が配達してくるのは私への手紙ではなかった。彼女の自宅へ電話をかけようと思ったが躊躇いがありかける事もなかった。

 悶々とした気持ちで三月が終わり、私は東京へ行く事になる。

 東京へ行く一週間前である。母から手紙が来ていると言われ私はすぐさまそれを受け取った。手紙の裏を見ると詩織からである。私は、すぐさま自室へ行き開封した。その中には一通の手紙が入っている。胸の鼓動が高まるのが分かり、顔は紅潮している。手紙は、仄かにラベンダーの香りがした。

 

 返事を出すのが遅くなってごめんなさい。喜多君が、私の事を思っていてくれたなんて驚きました。クラスメイトの一員だと思っていましたが、喜多君が私の事を好きでいてくれたなんて嬉しい気持ちもありますが反面戸惑いもあります。私達は別の県でこれから生活をしていきますし、喜多君の気持ちはきっと東京へ行けば少しずつ薄らいで行くとおもいます。私には、意中の男性がいます。今は、その人の事しか考えられないのです。期待にこたえられず本当にごめんなさい。喜多君の気持ちを受け止める事が出来なくて。これからも元野島高校三年二組のクラスメイトとして仲良くしてください。東京へ行っても頑張ってね。

 

 手紙を読み終えると私は落胆した。解りきっていた返答だが、このやりきれない気持ちをどこにぶつければ良いのか分らずに爪を噛みしめた。いてもたってもいられず、私はすぐさま詩織の自宅まで自転車をこぎ向かった。卒業アルバムに記載されている住所を見ると私の自宅からおよそ二駅離れた程度だったので電車を使うよりよほど早く着くのだ。表札を一軒一軒調べると山岸とかかれた一軒家を見つける。住所も一致するので詩織の自宅であろうと思った。インターホーンを押すわけでもなく、ただひたすらその場をうろうろしているだけが私なりの精一杯の表現であった。近所で井戸端会議をする主婦が私をちらちらと横見しているのが分かり、きっと不審者にうつっていたに違いない。二階に詩織の部屋があるのだろうか? 私は上を見上げ詩織が窓際に来ないかと心に願った。夕暮れになり、私が帰ろうとすると玄関のドアが開いたので私は慌ててすぐさま電柱の陰に身を潜めた。

「行って来ます」

外に出てきたのは詩織であった。きっとお使いでも頼まれていたのだろう買い物カゴを自転車の前カゴに入れ颯爽と走って行った。私は、詩織が見えなくなるまでその姿を追っていた。手紙が来てからの数日間は、虚無感しかなく何も手に付かない状態であった。机に座りずっと溜息ばかりを吐きラジカセから流れる尾崎のI LOVE YOUの歌詞がやけに今の自分にマッチしているようでセンチメンタルな気持ちにさせた。

「お兄ちゃん、田辺君から電話だよ」

 階下から大きな声で妹に呼ばれると、今忙しいからと言って友人の誘いも断り部屋に引籠っていた。

引っ越し前夜になり私は荷物をまだ整理していない事に気が付き慌てて適当に段ボールにつめていった。引っ越し先のアパートは今の部屋と比べると二畳狭くなるので出来るだけ最小限の物を入れるようと心がけた。どうせ、必要な物は東京で揃えれば良い事である。ラジオから録音した尾崎豊のカセットテープとラジカセを入れて準備を終えた。机の奥底にしまっていたポルノ雑誌は、マンガ雑誌と共に紐でくくり廃品回収に出せばいい。

 引っ越し当日。晴天日よりで母は、勝良かったねと声をかけたが私の気持ちは詩織の事が原因の為心の中は曇天でいた。食卓に家族四人が揃い朝食を取る。父は、いつものように新聞を読みながらトーストを口にする。それを母が、食事中くらいきちんとしなさいと叱ると父は、黙って新聞をテーブルに置きテレビ番組をNHKに変える。すると妹が別番組を観ていたと憤怒するが、聞く耳をもたずに熱いコーヒーをすすっている。背中を丸めズーズーとすする音は父の昔からの癖で本人曰く猫舌だそうだ。お風呂も猫肌と言い、父が入った後のお風呂はぬるま湯で風邪をひいた事が度々あったものだ。そんな我が家の光景を当分観られないのかとしみじみ感じた。

「東京は怖い人が沢山いるんだから用心しなさいよ」

「母さん。今は、昔と違うんだよ」

 東京に一度も行った事がない母は未だ恐ろしい所だと認識を持ちその概念を崩そうと言う気持ちを持ち合わせていなかった。東京は、危険な所と祖父母に教わったのだろう。その幼少期の気持ちを忘れず私に知らない人には付いていかないように、火の元はしっかりするのよ、出かける時は必ず鍵がしまっているかを確かめるのよ、まるで子供を躾けるような当たり前の事を何度も言うので恥ずかしい気持ちになった。両親から見れば私はまだ子供かもしれないが、今年十九になる立派な日本男児である。少しは、妹の手前メンツも保ってもらいたいのだが、そんな事を言えばまた小言が五月蠅く母がヒートアップするので口をつぐんで頷いた。父は、出張で何度か神奈川県や東京の工場へ研修に行った事があるので母より幾分、理解を示していた。何より私が東京へ行くと言った時に止めようとする母に父が、これからは都会に住む方が将来につながると諭していた。そう、父は先見の明があったのだろう。父自身が、肌で感じ取った都会で学んだ体験が私の後押しになったのだ。私は、ただ都会に憧れを抱きどんな理由でもこの田舎町から飛び出したい。それだけの理由であったし当然クラスメイト達も東京へ行くのだと思っていたが事実は異なり半々が東京もしくは神奈川、もしくは他県の大学や会社へ行く事になり、残った生徒は地元で就職、大学進学をする者であった。そして、詩織も地元に残る一人である事を知り後悔する。詩織がここで残る理由は、両親の事もあったのだろうがそれは違っていた。彼女が好意を持つ男性がこの町に住んでいたからである。それは、私が二十歳になりこの町へ帰って来た時に知る事である。この頃の私は何も知らない。

 ボストンバッグを持ち、母が電車の中でお父さんと食べなさいとおにぎりを包んだ袋を渡した。引っ越し業者を雇う程の量でもなかったので段ボールは宅配便で送る事にした。

「なあに、今じゃ東京なんてすぐに着いてしまうところだよ」

 少し涙ぐむ母に父は笑って肩を叩いた。

 車窓から見慣れた風景が映り、土手沿いではキャッチボールをしている子供達がいた。私は、青春ドラマのように東京へ行ってもがんばれと言った大きな旗をかざし級友達が

応援にかけつけてくれる事を想像していたが事実は異なり誰からも連絡のない寂しい男で

あった。

 母に言われたとおり、おにぎりを車内で食べていると父は胸ポケットからタバコを取り出しマッチで火をつけ上手そうに鼻から勢いよく紫煙を吐き出した。お前も吸うか? と聞くので私も一本貰い吸った。私がタバコを吸っている事は、母と妹には内緒であった。

実は、父だけが私が喫煙している事を知っているのだ。たまの休日父とパチンコ屋へ行くと横で台をまわしている私にタバコを勧めてくるので私は当たり前のように十六から吸っていた。帰りに景品と交換したタバコのカートを二人で分けていたわけであり、父公認で喫煙をしていたのだ。もちろん、学校ではタバコを持ち歩かなかったし部屋ではベランダで吸い、母達に見つからないようにしていた。学ランからタバコの臭いがすると指摘を受ければ友人や父が吸っていた横にいたからであると弁解した。タバコは、父と私だけの秘密事であった。父が吸っているショートホープの紫煙が立ち込めると私は思い出す。父と言えばショートホープのイメージがあったのだ。


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